宝枕盗難事件と石垣の整備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 01:07 UTC 版)
「内間御殿」の記事における「宝枕盗難事件と石垣の整備」の解説
1735年に宝枕が盗まれる事件が発生し、これを機に翌1736年、本殿の屋敷囲いは竹垣から石垣積みに変わり、本門と小門を設け、門扉には閂が取り付けられ、神殿も瓦葺に変えられた。 1737年には、西江御殿も瓦葺に改築され、屋敷の周囲には竹垣が張り巡らされるようになった。 1738年には、尚敬王が直筆で書いたとされる「致和」の扁額が東江御殿の本門の軒に掲げられた。また、尚敬王が御殿が改修までに到った経緯を刻んだ『先王旧宅碑』が内庭に建てられた。
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