宗論の緒戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/23 06:42 UTC 版)
旧来のインド僧徒は、摩訶衍の活動に異議を唱え、摩訶衍側からの求めもあって、宗教討論が開催されることとなった。この時の討論は、幾度かに及んだが、摩訶衍側の勝利に終わった。その後も、インド僧の讒言や、大臣と連携した画策は続き、それに対する摩訶衍の門弟らの抗議活動も活発に展開された。結果、794年に摩訶衍の活動を公認するという勅命が発せられた。
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