安順王后とは? わかりやすく解説

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安順王后

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/22 06:36 UTC 版)

安順王后
朝鮮王妃
在位 成化4年9月7日 - 成化5年11月29日
1468年9月22日 - 1470年1月1日

別称 仁恵明懿昭徽斉淑安順王后(諡号)
出生 正統10年2月4日
1445年3月12日
死去 弘治11年12月23日
1499年2月3日
埋葬 昌陵
配偶者 睿宗
子女 斉安大君
顕粛公主
恵順公主
氏族 清州韓氏
父親 韓伯倫
母親 豊川任氏
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安順王后韓氏(あんじゅんおうこう・かんし/アンスンワンフ ハンシ 1445年3月12日 - 1499年2月3日)は李氏朝鮮第8代王・睿宗の継妃。本貫は清州。

生涯

安順王后は右議政・韓伯倫朝鮮語版(1427年-1474年)の娘として生まれ、睿宗が王世子の時、後宮・昭訓として入宮した。1468年、睿宗即位により王妃となるが1年2ヶ月後の1469年、睿宗が薨去、韓氏は王大妃となる[1]。彼女には斉安大君がいたが王位を継ぐには幼く、夫の兄で夭折した懿敬世子の次男・乽山君(しゃさんくん、チャルサングン)が第9代王・成宗として即位した[2]。 1499年2月3日、薨去。

家族

安順王后は睿宗との間に1男2女を儲けた。

  • 父・清川府院君 韓伯倫朝鮮語版
  • 夫・睿宗
    • 顕粛公主(1464年 - 1502年)- 任光載正室
    • 斉安大君(1466年 - 1525年)
    • 恵順公主(1468年 - 1469年)

出典

  • 『王妃たちの朝鮮王朝』 尹 貞蘭 著、金 容権 訳 日本評論社 2010年

脚注

  1. ^ 『王妃たちの朝鮮王朝』P.80
  2. ^ 『王妃たちの朝鮮王朝』P.81

登場作品

先代
貞熹王后
朝鮮王妃
在位:1468年 - 1470年
次代
恭恵王后
先代
貞熹王后
朝鮮大妃
在位:1470年 - 1494年
次代
貞顕王后
先代
貞熹王后
朝鮮大王大妃
在位:1494年 - 1499年
次代
文定王后



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