守護解任と所領争い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/24 05:58 UTC 版)
守護となった経光だったが、大山寺境内にて「鬼神の如き」と言われるほどに獣や蛇を狩るなど、蛮行に及んでいたため、数年で守護職を解任されてしまった。解任後しばらくの間、経光は諸国を流浪したという。 守護解任の後、実弟・泰盛が経光の私領を侵すという事件が起きた。経光は幕府に泰盛の非行を訴えたが、さらに泰盛は経光に対して「物乞い」と悪口した。この悪口と所領横領の咎により、泰盛は幕府によって罰を受け、領地も経光に還された。しかし、後世に栄えた蘆名氏は泰盛の系統である。
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