宇波刀神社 (安八町)
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| 宇波刀神社 | |
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| 社殿 |
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| 所在地 | 岐阜県安八郡安八町森部373-10 |
| 位置 | 北緯35度20分37.35秒 東経136度41分5.70秒 / 北緯35.3437083度 東経136.6849167度 |
| 主祭神 | 天照大神 豊受大神 倭姫命 家津御子神 |
| 社格等 | 式内社(小)、郷社 |
| 創建 | 不明 |
宇波刀神社(うばとじんじゃ)は、岐阜県安八郡安八町にある神社[7]。
式内社の美濃国安八郡宇波刀神社の論社で、旧社格は郷社。 なお、別の論社は同じ表記で同郡内神戸町の宇波刀神社 で「うわとじんじゃ」と呼ぶ。
沿革・概略
創建時期は不明。垂仁天皇の頃、天照大神の御霊代を祀る地を探していた倭姫命は、美濃国伊久良河宮(現天神神社)から尾張国へ向かうさいこの地に立ち寄ったのが最初という。別説では伊久良河宮はこの宇波刀神社のことという。宝物の神鏡の裏面に伊久良河宮宇波刀神社内宮の文字がある。
この地域は水害が多く、幾度と無く被害を受けている。元の鎮座地は不明であるが、慶長8年(1603年)に移転した記録がある(現在地の北東約200m)。江戸時代は尾張藩の保護を受けていた。
- 大正14年(1924年)、木曽川上流改修工事により境内が河川敷になるため移転する。
- 昭和8年(1933年)、長良川の堤防増築により境内が堤防になるため移転する。
- 昭和9年(1934年)、犀川改修工事のため現在地に移転する。
祭神
交通機関
- 名阪近鉄バス岐垣線(岐阜聖徳学園大学・岐阜流通センター方面)「墨俣」バス停より約3km。または名阪近鉄バス羽島線(岐阜羽島駅方面)「南大森」バス停より約2.5km
- 岐阜バスおぶさ墨俣線「墨俣」バス停より約3km。
- 安八コミュニティバス「森部」バス停下車。徒歩5分。
参考文献
脚注に使用。主な筆者、編者の順。
- 大蔵省印刷局(編)『官報』第4946号、日本マイクロ写真、1943年7月9日、23, 24、doi:10.11501/2961451。昭和18年発行。
- 『神典』 索引(2版)、大倉精神文化研究所、横浜、1937年、74(コマ番号:42)頁。doi:10.11501/2969476。国立国会図書館書誌ID:000001033672、NDLJP:2969476、全国書誌番号: 62007174。
- 『濃飛両国通史』 上巻、1923年、8, 312, 876頁。
脚注
- ^ 『神典』索引2 1937, pp. 74(コマ番号:42), 宇波刀神社(ウハトノカミノヤシロ)(延)1374・1393.
- ^ 『濃飛両国通史』 1923, pp. 8(コマ番号:29), 飛兩國通史 §【安八郡】宇波刀神社.
- ^ 『濃飛両国通史』, 宇波刀神社 | 【安八郡】延喜式四座小並 濃国神名帳十九社〈改行〉宇波刀神社從三位於門明神、郷社於門神社、神戸町三淵鎮座。美濃国式内社取調書・校正美濃國神名帳座地考等に名森村森部の内宮を字波刀神社となし(近年宇波刀神社と改む)且つ伊久良河宮となすこと同意し難し。(後略).
- ^ 『濃飛両国通史』 1923, pp. 876(コマ番号:483), 【イ、ウ、ヱ、エ】〔ウ〕字波刀神社 312.
- ^ 『官報』 1943, pp. 23(コマ番号:21), 内務省 / 郷社 宇波刀神社 社司櫻林英一郎.
- ^ 『官報』 1943, pp. 24(コマ番号:22), 内務省 / 郷社 宇波刀神社 社司太田威久.
- ^ 式内社[1]、郷社[2][3][4]。同じ郡内に表記も共通し、いずれも式内社論社[5][6]の「うわとじんじゃ」がある。
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