孫の即位とハンダンの影
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 05:46 UTC 版)
「サフィエ・スルタン」の記事における「孫の即位とハンダンの影」の解説
1603年にメフメト3世が死去し、サフィエの孫のアフメト皇子が、13歳でアフメト1世として即位した。しかし、これは彼の3人の兄弟達が、何者かによって暗殺されたためであった。この暗殺の首謀者は、メフメト3世の寵姫だったハンダン・スルタンと、彼女と結託した宦官たちだと考えられている。 1597年には、サフィエの命令により、サフィエのモスクが金角湾の一等地に建設されることが決められた。この設計には、当代一の建築家ダウトゥ・アーが任命された。彼女がモスク建設を思いついたのは、宗教心からではなく、名声も権力も手にした彼女が、自分の威信を高めるためという理由からだった。 1618年に、サフィエは寝室で不審な死を遂げた。これはサフィエに反感を抱いた者による暗殺と考えられている。
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