孟琰とは? わかりやすく解説

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孟琰Meng Yan

モウエン
マウエン

(?~?)
蜀輔漢将軍

字は休明。朱提郡の人《華陽国志》。

諸葛亮南中制圧したのち、その地の俊傑である建寧爨習孟獲朱提の孟琰を官吏取り立てた華陽国志》。のちに孟琰は虎歩監に昇進して諸葛亮の北伐従軍し先遣部隊として武功水の東岸布陣した。敵将司馬懿渭水増水乗じて二十日騎兵一万人を差し向けて孟琰陣営攻撃させたので、諸葛亮は竹を組んで作るとともに武功水越しに弓を射かけた。敵兵完成しそうになったのを見て、すぐに逃げていった《水経注太平御覧》。孟琰はのちに輔漢将軍にまで昇った《華陽国志》。

参照爨習 / 司馬懿 / 諸葛亮 / 孟獲 / 建寧郡 / 朱提郡 / 南中 / 武功 / 虎歩監 / 輔漢将軍


孟琰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/23 14:44 UTC 版)

孟 琰(もう たん[要出典]、生没年不詳)は、中国三国時代の武将。字は休明。水経注及び華陽国志には名を孟琰と記しているが、太平御覧には孟玉としている。益州朱提郡の人で、蜀漢に仕えた。

生涯

建興3年(225年)、諸葛亮は益州南部で起きた反乱を平定するために南征軍を起こし、南中の反乱を平定した。この際に諸葛亮は現地の才能や徳にすぐれているものを抜擢し、孟琰は孟獲爨習と共に蜀漢に取り立てられた[1]

その後孟琰は虎歩監に任じられ、五丈原の戦いに参戦。先遣隊として武功水(渭水の支流)の東岸を占拠した。これを見た司馬懿は、孟琰の占拠二十日目に渭水の増水に合わせて万の騎兵を繰り出し、孟琰の陣営を攻撃した。諸葛亮は川越しに矢を射かけて孟琰を援護し、また同時に竹橋(太平御覧では車橋)を作って孟琰を救援しようとした。魏は橋の完成までに孟琰の陣営を落とすことが出来ず、橋が完成しかかっているのを見て軍を撤退した。これにより蜀は武功水東岸の占拠に成功している[2]

孟琰はのちに輔漢将軍まで昇進した[1]

脚注

  1. ^ a b 『華陽国志』
  2. ^ 『水経注』及び『太平御覧』


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