嬰児泣く雪中の鉄橋白く塗られ
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季 語 |
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季 節 |
冬 |
出 典 |
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前 書 |
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評 言 |
加藤楸邨の「霜夜子は泣く父母よりはるかなものを呼び」にも通じることだが、嬰児の泣き声には何か独特の神秘性があるように思う。この作品も、「雪の中のただでさえ真っ白な状況にて、なおも鉄橋が白く塗られてゆく」という一種不可思議な景をもって、その神秘性を表わしているのではないか。 降りしきる雪のような泣き声の中で、鉄橋である自分も雪の色のように白く塗られる。「わが子」という存在に丸ごと包まれる時間。父としての自覚、感慨がやわらかく浮き彫りになる時間。 「ささくれだつ消しゴムの夜で死にゆく鳥」「音楽漂う岸浸しゆく蛇の飢」など、イメージ表現の刺すような激しさシュールさが身上の作家だが、この句では、子に対する情愛が絶妙のファンタジー性を醸していて、読者の心をとらえる。 兜子、昭和三十二年の作品。 |
評 者 |
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備 考 |
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