妙祐寺 (世田谷区)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 妙祐寺 (世田谷区)の意味・解説 

妙祐寺 (世田谷区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/13 15:21 UTC 版)

妙祐寺
所在地 東京都世田谷区北烏山4-16-1
位置 北緯35度40分44.0秒 東経139度35分44.5秒 / 北緯35.678889度 東経139.595694度 / 35.678889; 139.595694座標: 北緯35度40分44.0秒 東経139度35分44.5秒 / 北緯35.678889度 東経139.595694度 / 35.678889; 139.595694
山号 天護山
宗派 浄土真宗本願寺派
本尊 阿弥陀如来
創建年 弘安9年(1286年
開山 一遍上人
中興年 寛永2年(1625年
中興 了頓
法人番号 1010905000316
テンプレートを表示

妙祐寺(みょうゆうじ)は、東京都世田谷区にある浄土真宗本願寺派寺院。「烏山寺町」を構成する26の寺院の1つである。

概要

1286年弘安9年)、時宗の開祖一遍上人によって開山された。元々は武蔵国豊島郡渋谷村(現・東京都渋谷区)に位置しており、時宗寺院「天護山円証寺」という名称であった。しかし大永年間(1521年1528年)の戦乱で廃寺となった[1]

1625年寛永2年)、浄土真宗の僧了頓が渋谷の円証寺跡の土中から阿弥陀如来像を発見し、浄土真宗寺院「満歳山学恩寺」として再興した。その後延宝年間(1673年1681年)に「天護山妙祐寺」に改称した[2]

1935年には故上野英三郎博士の菩提寺であったことから、当寺の僧侶ハチ公の葬儀を盛大に執り行った。 1936年昭和11年)、東京高速鉄道線(現東京メトロ銀座線)の開通により、墓地の一部を現在地に移転した。1945年(昭和20年)の空襲で本堂等も焼失したため、残りも現在地に移転した[2]

交通アクセス

脚注

  1. ^ 天護山妙祐寺烏山仏教会「寺町通り」
  2. ^ a b 竹内秀雄 著『世田谷区史跡散歩 (東京史跡ガイド12)』学生社、1992年、146-148p

参考文献

  • 世田谷区 編『小学生の烏山寺町あんない 付 世田谷の社寺と遺宝その2』世田谷区、1978年
  • 竹内秀雄 著『世田谷区史跡散歩 (東京史跡ガイド12)』学生社、1992年

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  妙祐寺 (世田谷区)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「妙祐寺 (世田谷区)」の関連用語

妙祐寺 (世田谷区)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



妙祐寺 (世田谷区)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの妙祐寺 (世田谷区) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS