如意輪寺_(姫路市)とは? わかりやすく解説

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如意輪寺 (姫路市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/31 04:52 UTC 版)

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如意輪寺


全景

1.如意輪寺、2.書写山3.姫路城
所在地 兵庫県姫路市書写1463-3
位置 北緯34度52分40.80秒 東経134度39分37.58秒 / 北緯34.8780000度 東経134.6604389度 / 34.8780000; 134.6604389
山号 補陀落山
宗派 天台宗
寺格 圓教寺末寺
本尊 六臂如意輪観世音菩薩
創建年 長保4年(1002年)
開基 性空
中興年 万治2年(1659年)
中興 長雲
文化財 如意輪観音半跏像、薬師如来坐像、聖徳太子立像(市重文)
法人番号 6140005014109
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如意輪寺(にょいりんじ)は兵庫県姫路市に所在する寺院である。山号は補陀落山(ふだらくさん)。宗派は天台宗。本尊は六臂如意輪観世音菩薩。 かつては圓教寺の女人堂であった。

御詠歌:はるばると だいひのみてに まもられて のりのたよりを きくぞうれしき

概要

圓教寺の末寺として開創された。書写山の南麓、東洋大学附属姫路中学校・高等学校の東隣にある。

圓教寺を開創した性空上人が、平安時代中期の長保4年(1002年)に開いた。 室町時代前期の応永5年(1398年)圓教寺が女人禁制となったため、心空慈伝上人がこの寺院に女人堂を建立し西国三十三所二十八番札所圓教寺の女性巡礼道場となった。

その後荒廃し、江戸時代前期の万治2年(1659年)に長雲が中興した。 明治時代に入り圓教寺の女人禁制が解かれ寺号を如意輪寺と改めた。

如意輪寺裏から圓教寺への登山道は東坂参道と呼ばれ、圓教寺六参道の一つである。 境内には、ここから圓教寺の寺領であり守護や役人の立ち入りを禁じる守護使不入を示す石柱がある。

文化財

姫路市指定重要有形文化財

如意輪観音半跏像
南北朝時代観応2年/正平6年(1351年康俊の作。ヒノキ造・箔・玉眼嵌入。像高41cm平成8年(1996年)12月2日指定。
薬師如来坐像
室町時代の作と推定される。寄木造・漆箔・玉眼嵌入。像高48cm。平成8年(1996年)12月2日指定。
聖徳太子立像
14世紀(鎌倉時代から南北朝時代)の作と推定される。ヒノキ寄木造・彩色。像高77cm。聖徳太子16歳の孝養太子と称される像である。平成8年(1996年)12月2日指定。

参考文献

  • 兵庫県の歴史散歩編集委員会/編 『兵庫県の歴史散歩 下』 山川出版社 2006年 107ページ
  • 現地説明板/平成9年(1997年)1月 姫路市教育委員会 設置

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