如意輪寺 (愛知県南知多町)とは? わかりやすく解説

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如意輪寺 (愛知県南知多町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/15 17:05 UTC 版)

如意輪寺
所在地 愛知県知多郡南知多町内海中之郷12
位置 北緯34度44分22.77秒 東経136度52分25.01秒 / 北緯34.7396583度 東経136.8736139度 / 34.7396583; 136.8736139座標: 北緯34度44分22.77秒 東経136度52分25.01秒 / 北緯34.7396583度 東経136.8736139度 / 34.7396583; 136.8736139
山号 井際山
宗派 真言宗豊山派
本尊 如意輪観世音菩薩
中興年 天正年間(1573年 - 1592年
中興 梅山
正式名 井際山 如意輪寺
札所等 知多四国霊場46番
文化財 円空仏(南知多町指定文化財)
公式サイト 如意輪寺
法人番号 1180005012195
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如意輪寺(にょいりんじ)は、愛知県知多郡南知多町内海中之郷12にある真言宗豊山派寺院[1][2]

概要

本尊は如意輪観世音菩薩[1][2]。伝弘法大師作の如意輪観音像を本尊とすることが寺号の由来[3]

沿革

奈良時代神亀年間(724年729年)、行基菩薩の建立と伝わる観福寺の一院として創建された[2]南北朝時代から戦国時代にかけて観福寺は衰退し、子院の多くも荒廃していった[2]。しかし天文2年(1533年)、帰依者によって現在地に堂宇が建立された[2]天正2年(1574年)、梅山和尚が中興開山となった[2]。現在の寺号である如意輪寺は、この際に稲沢の萬徳寺から附されたとされる[2]

文政7年(1824年)には妙楽寺の亮山阿闍梨和尚らによって知多四国霊場が開かれ、如意輪寺は46番札所となった[1][4]。当時の如意輪寺は知多半島でも有力な寺だったため、文政8年(1825年)には知多四国霊場の本部が置かれている[1]。明治初期まで、中之郷入見神社の別当を兼務していた。

2002年平成14年)、本堂を境内の一段高い場所まで曳き上げ、大規模な移設修繕が行われた[2]。この際に山門や塀も整えられた[2]

境内

  • 本堂
  • 祖師堂
  • 庚申堂
  • 地蔵堂
  • 護摩堂

文化財

町指定文化財

南知多町指定文化財の円空仏は普段は非公開であるが、旧暦10月8日から10月12日には開帳される[1]

脚注

  1. ^ a b c d e 真野由季江『知多四国八十八ヵ所めぐり 知多四国霊場会公認ガイド』祥伝社、2003年
  2. ^ a b c d e f g h i 知多四国霊場会 監修『遍路知多めぐり 改訂版』人間社、2015年
  3. ^ 深田正韶ほか編『尾張志10 知多郡』515丁裏 博文社、1898年、NDLJP:764871/57
  4. ^ 中尾堯 編『古寺巡礼辞典』東京堂出版、1976年、p. 232
  5. ^ 町指定文化財 南知多町

外部リンク




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