天龍寺時代から遷化まで
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1885年(明治18年1月15日)には前堂位に就き、峨山と号した。そして儀山善来の法嗣である由理滴水に参禅してその後嗣法する。1893年(明治26年)には、再興なっていた天龍僧堂で橋本峨山が僧堂師家として雲居に入り接集し碧巌録を講ず。同時に天龍寺執事長となる。1895年(明治28年11月15日)には天龍寺副住職となる。1899年(明治32年1月20日)に師匠であり管長の由理滴水が遷化し、そして4月11日には橋本峨山が臨済宗天龍寺派管長となる。翌年の1900年(明治33年)の春には、天龍寺開山550年忌大法会を挙行した。9月中頃に病に罹り1900年(明治33年10月1日午後1時)に遷化。遺骨を鹿王院義堂和尚の傍に納む。世寿48歳。
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