天草の潜伏キリシタンの組織
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 01:57 UTC 版)
「天草崩れ」の記事における「天草の潜伏キリシタンの組織」の解説
大江村と今富村の吟味調書には、彼ら信徒の組織には上組・下組という2つの組織があったという証言がある。上組・下組の暦法に若干の違いがある一方で、大江村・今富村の上組、大江村・今富村の下組の暦法が、それぞれほぼ同じであることが天草崩れの吟味調書に記されている。このことから、上組・下組は複数の村に存在していたが、これは村ごとに独立した上組・下組があったのではなく、上組と下組それぞれがいくつもの村にまたがる組織であったと考えられている。ただし、崎津村と高浜村の組織については史料が存在せず、また上組・下組がどのようにして区分けされたのか、なぜ暦法がそれぞれで違うのかということも史料が無いため、詳細は不明である。 組織の内実は不明であるものの、他の地域の潜伏キリシタンたちと同様、天草にも信仰共同体としての組織が存在していたことは確かで、その組織の存在が長期にキリシタンたちが集団的に潜伏することを可能とする条件になっていた。
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