天王位に即位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 08:24 UTC 版)
396年6月、呂光は天王に即位し、国号を大涼と定めた(名実ともに後涼が建国されたのはこの時である)。領内に大赦を下し、龍飛と改元した。 百官を設置し、世子の呂紹を天王太子に、諸々の子弟20人を公・侯に封じた。中書令王詳を尚書左僕射に、著作郎段業・沮渠羅仇ら5人を尚書に任じた。 同月、呂光は禿髪烏孤の下へ使者を派遣し、征南大将軍・益州牧・左賢王に任じる旨を告げた。だが、禿髪烏孤は使者へ向けて「呂王の諸子は貪淫であり、三甥は暴虐である。遠近の民はみな愁怨としているのに、我がどうして百姓の心に違えて不義の爵を受けようか!帝王の事業は我自らが行わん」と宣言し、この任官を受けなかった。そして鼓吹・羽儀を留めたままで、使者を追い返した。
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