雄山荘とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 雄山荘の意味・解説 

雄山荘

(大雄山荘 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/04 00:31 UTC 版)

雄山荘(ゆうざんそう、大雄山荘)は、神奈川県小田原市下曽我にあった別荘である。

概要

1930年昭和5年)、東京の印刷会社社長・加来金升が接客用の別荘として建築した[1]

太平洋戦争中、太宰治の愛人・太田静子が親類のつてで、実母とともにこの雄山荘に疎開してきた[2]。静子がここで暮らした日々を記した日記は、太宰の小説『斜陽』の元になった[2]1947年(昭和21年)2月21日に太宰が来訪し、24 日まで滞在[2]。この間に、静子が後の太田治子を身ごもった[3]

1951年(昭和26年)に静子が去り、最後の借主となった俳人・林周平が1993年頃に去って以来、雄山荘は無人のままにされていた。太宰ファンらが4,000人の署名を集め、小田原市に雄山荘の買取と保存を要望したが、当時の所有者に売却の意志が無く、また、建物自体も老朽化が激しかったために叶わなかった[2]

2009年平成21年)12月26日早朝、原因不明の出火により雄山荘は全焼した。小田原署は不審火の疑いもあると見て調べている[4][5]

脚注

  1. ^ 『斜陽』に描かれた建築空間の考察”. 西島建築設計工務. 2016年3月4日閲覧。
  2. ^ a b c d 政界・文豪ゆかりの文化財次々焼失…施錠なく」『MSN産経ニュース産業経済新聞社、2009年12月26日。オリジナルの2009年12月29日時点におけるアーカイブ。2025年5月4日閲覧。
  3. ^ 【著者に聞きたい】太田治子さん『明るい方へ 父・太宰治と母・太田静子』」『MSN産経ニュース』産業経済新聞社、2009年11月1日。オリジナルの2009年11月3日時点におけるアーカイブ。2025年5月4日閲覧。
  4. ^ 太宰治ゆかりの雄山荘が全焼 不審火の疑い」『MSN産経ニュース』産業経済新聞社、2009年12月26日。オリジナルの2009年12月29日時点におけるアーカイブ。2009年12月26日閲覧。
  5. ^ 雄山荘焼失「歴史的建物なくなり残念」と落胆の声」『MSN産経ニュース』産業経済新聞社、2009年12月26日。オリジナルの2009年12月29日時点におけるアーカイブ。2025年5月4日閲覧。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「雄山荘」の関連用語

雄山荘のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



雄山荘のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの雄山荘 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS