太田康資とは? わかりやすく解説

太田康資

(大田康資 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/27 08:43 UTC 版)

太田 康資(おおた やすすけ、1531年享禄4年) - 1581年11月8日天正9年10月12日)?[注釈 1])は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将太田資高嫡男(次男)。母は北条氏綱の娘・浄心院。兄(資高の庶長子)に太田景資、弟に太田輝資。太田駒千代、太田重正の父とされる。母方の伯父にあたる北条氏康から偏諱を賜って康資と名乗り、またその養女を妻に迎えた。年齢が近く行動を共にしていた同族の太田資正太田資清(太田道灌の父)を共通の高祖父とする8親等離れた親族である。


注釈

  1. ^ 通説や太田氏の系図では天正16年(1588年)に死去したともされるが、『本土寺過去帳』や安房小湊(現在の鴨川市)の誕生寺にある彼の墓碑[1]では、正木憲時の反乱時である天正9年(1581年)に死去した事になっている。
  2. ^ 信頼の置ける扱いであるからこそ、他所他所しい「殿」をつけなかったという見方もある。他にも重臣クラスの他国衆で「殿」を付けられていない人物は多い。
  3. ^ 当時、江戸城には本丸に富永氏(富永直勝)、二の丸に遠山氏(遠山綱景)が寄っており、康資は三の丸に寄る、城代3人のうちの一人でしかなかったからである。

出典

  1. ^ 31.太田新六郎康資の石塔”. 誕生寺. 2019年1月5日閲覧。


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