大正軒説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 07:51 UTC 版)
大正時代に大坂城近くの馬場町に開業した大正軒の山東省出身の亭主が、戦後の食料不足の際に売り物がなく、天津の食習慣である「蓋飯」(皿盛りの飯におかずを載せたもの)を発想のもととし、天津で多く獲れたワタリガニ[要曖昧さ回避]の蟹玉で作り、上からとろりとした餡をかけた「芙蓉蟹蓋飯」を作った。しかし、蟹肉は高かったので採算に合わず、後に大阪湾のサルエビ(トビアラ)に代えて「天津飯」とした。なお当時は卵も入手難で、天津から輸出されてきた小さなサイズの鶏卵を使った。この説は、大阪の調理師からの又聞きとして伝えられている。
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