大楽源太郎の庇護と政府転覆計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 08:21 UTC 版)
「久留米藩難事件」の記事における「大楽源太郎の庇護と政府転覆計画」の解説
「大楽源太郎」も参照 明治3年(1870年)9月、山口藩で奇兵隊の反乱(脱隊騒動)を起こして敗れた大楽源太郎は、古松簡二を頼って久留米に逃れた。 明治政府の「開国和親」に不満を持っていた応変隊幹部の小河真文は大楽を庇護し、大楽は庄屋宅などを転々としながら匿われた。久留米藩の応変隊や七生隊は反政府運動を展開した。また、大楽は公卿の愛宕通旭・外山光輔が図っていた明治政府転覆計画(二卿事件参照)とも関わりを持っており、久留米藩尊王攘夷派政権もこれに加わった。 しかし明治4年(1871年)、この政府転覆計画は露見した。
※この「大楽源太郎の庇護と政府転覆計画」の解説は、「久留米藩難事件」の解説の一部です。
「大楽源太郎の庇護と政府転覆計画」を含む「久留米藩難事件」の記事については、「久留米藩難事件」の概要を参照ください。
- 大楽源太郎の庇護と政府転覆計画のページへのリンク