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大木繁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/08 16:01 UTC 版)

大木 繁(おおき しげる、1888年明治21年)11月29日[1][2] - 1947年昭和22年)4月9日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。旧姓・宮川。

経歴

福井県出身[1][注 1]。陸軍少佐・宮川源七の息子として生まれ、大木家の養子となる[1]高等小学校広島陸軍地方幼年学校中央幼年学校を経て、1910年(明治43年)5月、陸軍士官学校(22期)を卒業[1][2][3]。同年12月、陸軍歩兵少尉に任官し歩兵第36連隊付となる[1][3]

1913年(大正2年)12月、歩兵中尉に昇進[1]。1917年(大正6年)6月、兵科憲兵科に転じ憲兵中尉に任官し熊本憲兵隊分隊長となった[1]。1918年(大正7年)6月、憲兵練習所を卒業し朝鮮憲兵隊分隊長に就任[1]。1920年(大正9年)8月、憲兵大尉に進む。1925年(大正14年)8月、京城憲兵分隊長に就任し、広島憲兵分隊長を経て、1927年(昭和2年)7月、憲兵少佐に進級し東京憲兵隊付となる[1]。1931年(昭和6年)3月、麹町憲兵分隊長に転じ、朝鮮憲兵隊司令部員を務め、1932年(昭和7年)8月、憲兵中佐に昇進[1]。1933年(昭和8年)5月、大邱憲兵隊長に就任[1]。1935年(昭和10年)8月、台湾憲兵隊長に転じ、1936年(昭和11年)12月、憲兵大佐に進む[1][4]

1937年(昭和12年)3月、関東憲兵隊長に転じ新京に赴任[1][4]。同年12月、中支那派遣憲兵隊長に就任し、1938年(昭和13年)12月、大阪憲兵隊長に転じて帰国[1][4]。1940年(昭和15年)3月、陸軍少将に進んだ[1]。1941年(昭和16年)3月、中支那派遣憲兵隊司令官を経て、1943年(昭和18年)8月、陸軍中将に進級し憲兵司令官に就任[1][2][4]。1944年(昭和19年)10月、関東憲兵隊司令官に転じて終戦を迎えた[1][2][4]。その後、シベリア抑留となり、1947年4月に戦病死した[1][4]

栄典

脚注

注釈

  1. ^ 『日本陸軍将官辞典』141頁、『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』279頁では東京。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『日本陸海軍総合事典』第2版、34頁。
  2. ^ a b c d e 『日本陸軍将官辞典』141頁。
  3. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』271、279頁。
  4. ^ a b c d e f 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』279頁。
  5. ^ 『官報』第8313号「叙任及辞令」1911年3月11日。
  6. ^ 『官報』第460号「叙任及辞令」1914年02月12日。
  7. ^ 『官報』第1988号「叙任及辞令」1919年03月21日。
  8. ^ 『官報』第3534号「叙任及辞令」1924年6月5日。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。



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