大怪我からの復活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 01:42 UTC 版)
「艇王」「不死鳥」の異名で知られる。 桐生競艇場での事故の際、搬送中の救急車の中で、付き添いの競艇場職員に「スタートが正常だったか否か」の確認を求め、「それどころじゃない!!」と職員に怒られた。 手術の途中で担当医が「これが鼻かな」「これが瞼かな」と言いながら傷を縫っていたこともあって、いよいよ心配になったのだろうか「先生、大丈夫ですか?」と問い合わせると「喋ったらいけない、喋ると顔が変形してしまうから」と返答された。 後に『別冊宝島』誌上でのインタビューで、スタートを確認した件について「(怪我した)場所が顔だったから、自分の目に見えなくて、どんだけ切ってるとかわかんなかっただけなんです(苦笑)」と語ったほか、「手術台に上がったら、先生が『これが瞼かな』とか話してるのが聞こえてきて(中略)『ひょっとしてダメかな』とか、ちょっと考えましたね」と後になってことの重大さに気づいたことを述べている。 事故直後は出血量の多さ、手術直後は施術部の腫れがひどかったため、何も見ることが出来なくなり、その間本人は失明したと思い込み、今後の生活を考え絶望的になっていたと語っている。 退院後、北九州へ戻る際に傷を隠すためにメガネをしていたが、いかんせん目と目の間(日月)の骨が無くなっていたために、メガネがずれて全く意味を成さなかった。そして北九州に戻り、北九州総合病院にて顔の皮を剥いで頭蓋骨を摘出し、顔(日月)の部位に移植手術を行った。
※この「大怪我からの復活」の解説は、「植木通彦」の解説の一部です。
「大怪我からの復活」を含む「植木通彦」の記事については、「植木通彦」の概要を参照ください。
- 大怪我からの復活のページへのリンク