大久保黄斎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/21 06:19 UTC 版)
大久保黄斎(おおくぼこうさい、文化9年(1812年) - 明治28年(1895年)6月3日[1])は、江戸時代の医師。名は道理(みちまさ)。
略歴
甲斐国巨摩郡古市場村(後の山梨県中巨摩郡甲西町。現在の南アルプス市)に、医家の初代大久保章言の次男として生まれる[2]。兄は甲斐における蘭方医学の祖とされる貞固(二代章言)[3]。天保3年(1832年)に黄斎は江戸に出て蘭方医・坪井誠軒の高弟となり医学を学び、後に甲府で開業する[4]。
嘉永元年(1848年)に兄の二代章言が死去すると古市場村に帰郷し、分家して医業を継続した[5]。嘉永3年(1851年)には、甲斐国で初めて種痘を施行した[6]。84歳で死去。
世事記
黄斎は『世事記』と題された大久保家の金銭出納帳を残している[7]。『世事記』は原本が身延山大学図書館に所蔵され(池原文庫)、形態は横半帳。一年一冊で19年分(21冊)が伝存している[8]。
内容は日付・金額・品目・店名(人名)の四項目で大久保家の支出を記録し、幕末・明治記には記録が詳細化している。内容は多岐にわたるが、特に海産物の記載が詳細で、近世後期から明治期の甲斐における海産物の流通、加工形態や消費の動向など、多様な情報を記している。また、明治20年代には鶏肉や牛肉などの家畜、イノシシ、シカなど野生獣の購入が増えるなど、肉食の習慣が広まっていく食生活の変化も見られる[9]。また、1895年(明治28年)には牛乳の購入が記録されている点も注目される[10]。
脚注
- ^ 没年は南アルプス市古市場の妙源寺に現存する碑文による。
- ^ 宮澤(2008)、p.39
- ^ 宮澤(2008)、p.39
- ^ 宮澤(2008)、p.39
- ^ 宮澤(2008)、p.39
- ^ 宮澤(2008)、p.39
- ^ 宮澤(2008)、p.39
- ^ 宮澤(2008)、p.39
- ^ 植月・宮澤(2011)、p.36
- ^ 植月・宮澤(2011)、p.36
参考文献
- 村松学佑『甲斐国医史』2002
- 宮澤富美恵「蘭方医大久保黄斎の食生活」『甲州食べもの紀行』山梨県立博物館、2008
- 植月学・宮澤富美恵「甲州における幕末・明治期の海産物消費動向-大久保黄斎『世事記』の分析から-」『山梨県立博物館研究紀要 第5集』山梨県立博物館、2011
Weblioに収録されているすべての辞書から大久保黄斎を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- 大久保黄斎のページへのリンク