大久保端造とは? わかりやすく解説

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大久保端造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/19 08:01 UTC 版)

大久保 端造(おおくぼ たんぞう、1854年安政元年5月10日[1][2]) - 1916年大正5年)6月25日[2])は、日本弁護士政治家衆議院議員(1期)。

経歴

常陸国新治郡(のち茨城県新治郡安飾村出島村霞ヶ浦町、現・かすみがうら市)生まれ[1]法律学を学ぶ。戸長を経て、代言人となり、弁護士の業務に従事する[2]東京弁護士会副会長、東京市京橋区会議員を務めた[2]

1890年第1回衆議院議員総選挙において茨城5区から自由党所属で立候補するが5票差で落選した[3]1892年第2回衆議院議員総選挙では自由党から立候補したが次点で落選した[4]1894年3月の第3回衆議院議員総選挙では自由党から立候補して当選した[5]。同年9月の第4回衆議院議員総選挙で落選[6]1898年3月の第5回衆議院議員総選挙では新自由党から立候補して落選した[7]。衆議院議員は1期務めた。大正5年6月25日卒去。墓所は青山霊園1-イ-22。

脚注

  1. ^ a b 衆議院 編 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第202回』衆議院事務局、1940年、92頁。NDLJP:1278238 
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』124頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』1頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』7頁。
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』13頁。
  6. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』19頁。
  7. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』25頁。

参考文献

  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。



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