夢乃タンゴ・園ひとみとは? わかりやすく解説

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夢乃タンゴ・園ひとみ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/19 02:14 UTC 版)

夢乃タンゴ・園ひとみ(ゆめのたんご・そのひとみ)は、昭和期から平成期に活躍した、松竹芸能所属の男女漫才コンビ。1974年(昭和49年)結成、2003年タンゴが金銭絡みで失踪、2008年(平成20年)タンゴの病没により消滅。

芸風

浪曲漫才と、民謡を主体にした歌謡漫才。安来節(どじょうすくい踊り)、銭太鼓、浪曲替え歌など、古典をベースに練り上げられた舞台芸で固定客を掴んだが、テレビ・ラジオの演芸番組にはほとんど出演しなかった。

年がら年中浪花座で同じネタしかやらない為客受けは悪かった。

舞台ではひとみがリード、ネタでタンゴの馬面、容姿をけなしていた。

メンバー

大阪府貝塚市出身。 テイチク専属歌手だった前島節子[1]の紹介で突破の門下になる。「夢乃ダンゴ」との誤記が散見される。
東洋音楽学校声楽科を卒業後、1954年(昭和29年)に宮津タンゴの名で笹山タンバ[2]とコンビを結成。初舞台は南街ミュージックホール。1956年(昭和31年)に一旦解散。
1962年(昭和37年)に西川ひかる[3]とのコンビで短期間活動した後、タンバと組み直したが、また解散。
1974年(昭和49年)以降は園ひとみと組み、最も長続きした相方になった。
関西演芸協会の会長後に顧問を務めていた。
  • 園 ひとみ(その ひとみ、本名・寺田徳恵、1948年(昭和23年)2月9日 - )
大阪府茨木市出身、大阪府立春日丘高等学校卒業。
浪曲出身で、カナリヤシスターズに参加後、ジョウサンズでは日吉川トキコを名乗る。
脱退後漫才に転向、1967年(昭和42年)中田ゆきみと称し中田ダイマル・ラケット門下の中田みゆきと「中田みゆき・ゆきみ」のコンビ名で活動後、1974年(昭和49年)に夢乃と組み34年活躍。
「ひとみ」の芸名はある日偶然に駅で若井みどりがタンゴと出会い「おまはん、ひとみもう名乗らんか?」と聞かれ、若井みどりは名乗る予定がなかったので、かつて名乗っていた「ひとみ」の名を譲った。園ひとみが目がパッチリしていた為、この名が候補に挙がった。


出演

テレビドラマ

  • 翔べ! 必殺うらごろし 第10話「女は子供を他人の腹に移して死んだ」(1979年、ABC / 松竹) - 亭主(夢乃タンゴ)・女房(夢乃ひとみ)

参考文献

  • 「現代上方演芸人名鑑」(少年社、1980年)

脚注

  1. ^ 内海突破の夫人
  2. ^ 後の2代目内海突破
  3. ^ 現:4代目西川サクラ

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