多治見市・可児町組合立姫治小学校とは? わかりやすく解説

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多治見市・可児町組合立姫治小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/02 16:39 UTC 版)

多治見市・可児町組合立姫治小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 多治見市可児町組合
設立年月日 1873年
閉校年月日 1966年
共学・別学 男女共学
所在地 509-0245
岐阜県可児市下切1530[注釈 1]
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多治見市・可児町組合立姫治小学校(たじみし かにちょうくみあいりつ ひめじしょうがっこう)は、かつて岐阜県可児郡可児町(現・可児市)に存在した公立組合立小学校

概要

旧・可児郡姫治村の小学校であり、1960年(昭和35年)に姫治村が多治見市と可児町に分割編入されたことにより、多治見市・可児町組合が設立。校舎は可児町域となった。

1966年(昭和41年)、多治見市立南姫小学校可児町立南小学校へ分割され廃校となった。校舎は南小学校の姫治教室となった。ただし当時は南姫小学校の校舎が未完成であり、同校の児童も姫治教室へ通学していた。1967年3月に南姫小学校の校舎が完成したことに伴い、1968年をもって姫治教室も廃止された。

跡地は姫治地区センター、可児市姫治市民グラウンドなどになっている。

沿革

  • 1908年明治41年) - 下切尋常小学校、大薮尋常小学校、北小木尋常小学校が統合され、姫治尋常小学校となる。校舎は旧校を教室として使用。
  • 1913年大正2年) - 統合校舎が完成、旧校の教室を廃止。北小木分教場を設置。
  • 1915年(大正4年) - 裁縫補習学校を併設。
  • 1935年(昭和10年) - 青年訓練所を併設。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 姫治国民学校に改称。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 姫治村立姫治小学校となる。
  • 1960年(昭和35年)4月1日 - 姫治村が分割され、南部(北小木・大針・大薮・下切の一部)は多治見市に、北部(今・谷迫間・下切村の大部分)は可児郡可児町に編入される。同時に多治見市と可児町で組合を設立し、多治見市・可児町組合立姫治小学校となる。
  • 1966年(昭和41年)3月 - 学校再編により、多治見市立南姫小学校可児町立南小学校へ分割され廃止。北小木分校は南姫小学校に移管される。

脚注

注釈

  1. ^ 現在の住所表記

出典

参考文献

  • 可児町史 通史編 (可児町 1980年) P.930 - 1026
  • 多治見市史 通史編 下 (多治見市 1987年) P.353 - 435 P.857 - 895

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