墳丘と周溝について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/08/27 00:35 UTC 版)
「鶴ヶ丘稲荷神社古墳」の記事における「墳丘と周溝について」の解説
鶴ヶ丘稲荷神社古墳はかろうじて墳丘を残していたとはいえ、開墾されて茶畑となっていたため発掘調査時には墳丘は原型を失っていた。調査の結果、葺石として墳丘裾を覆っていたと見られる石列が検出され、その形状から墳丘は東西20.5メートル、南北21メートルの方形をしていたと見られる。 また墳丘の外側を断続的に溝状の遺構がめぐっているのが確認された。溝状の遺構は南北の辺がやや西側に傾いた方形をしており、溝の大きさと深さもまちまちであるが、周溝にあたるものとされる。周溝内側は東西約40メートル、南北約53メートルであり、鶴ヶ丘稲荷神社古墳は東西20.5メートル、南北21メートルの墳丘部の外側に、平坦な基壇状の方形施設を巡らせた、東西約40メートル、南北約53メートルの規模の方墳とされる。 なお、鶴ヶ丘稲荷神社古墳からは埴輪は全く出土しておらず、この点からも終末期古墳であると見られている。
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