増井健一とは? わかりやすく解説

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増井健一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/02 10:12 UTC 版)

増井 健一(ますい けんいち、1917年大正6年)7月8日 - 2001年平成13年)8月24日)は、日本の経済学者、慶應義塾大学名誉教授交通経済学を専攻。

来歴

経済学者・増井幸雄の長男として静岡県浜松市に生まれる。慶應義塾幼稚舎普通部予科を経て、1940年3月に慶應義塾大学経済学部を卒業[1]。同年4月から助手を務める。短期現役海軍主計科士官(4期)を志願し、同年5月、海軍経理学校に入学して海軍主計中尉に任官[2]。同年9月に卒業[2]。1942年3月、主計大尉に進む[2]。1945年5月、海軍主計少佐に昇進して終戦を迎えた[2]

1945年10月に解員(復員)し、同助教授。1955年教授、1957年商学部教授、商学部長、1983年定年退任、名誉教授、松阪大学教授、1994年退職。

父の後を継いで交通経済学を専攻し、ケネー『経済表』も父を引き継いで新訳した。

逸話

1943年4月、戦死した山本五十六連合艦隊司令長官の遺骨の木箱を、現地人宣撫用のラプラプの布地に包み、酒保の菓子を供えて2時間交代で通夜を行った[2]

著書

共編著

翻訳

  • 経済表 ケネー 戸田正雄共訳 岩波文庫 1961年

脚注

  1. ^ Bibliographical Database of Keio Economists - 人物詳細”. bdke.econ.keio.ac.jp. 2022年4月10日閲覧。
  2. ^ a b c d e 『海軍主計科士官物語〈短現総覧〉』48、390頁。

参考文献

  • 『海軍主計科士官物語〈短現総覧〉』浴恩出版会、1968年。
  • 「増井健一教授略歴及び著者目録」『三田商学研究』1983年12月。





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