塚本毅 (外交官)とは? わかりやすく解説

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塚本毅 (外交官)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/20 09:59 UTC 版)

塚本 毅(つかもと たけし、1896年明治29年〉[1]- 1973年昭和43年〉12月7日[1])は、昭和期の日本外交官

経歴

熊本県玉名郡に生まれる[1][2]熊本県立玉名中学校(1916年卒業)を経て[3]、1921年(大正10年)に東京高等商業学校(現一橋大学本科を卒業した[4]。1920年(大正9年)高等試験行政科試験に合格し[1]、1921年に外務省に入省した[1]。若手の頃から白鳥敏夫らとともに革新派官僚と呼ばれる。

外務省アメリカ局第二課長[5]スイス公使館書記官、外務省南洋局長心得、拓務省拓南局参与[6]ハルビン総領事や[7]スイス公使、外務省通商局勅任事務官、サイゴン公使、仏印総督総務長官などを経て、1945年(昭和20年)から翌年にかけて最後の仏印大使を務めた[1]。1946年(昭和21年)5月に退官した[1]

戦後、公職追放を受けた。のち、国際港湾会議準備会事務総長[8]、輸入自動車協会専務理事[9]、日本イスラエル協会理事長[10]

著書

訳書

  • フレッド・エチ・アルドリチ著『國際聯盟の法理學的批判』巌松堂書店 1923年

脚注

  1. ^ a b c d e f g 『新版 日本外交史辞典』613頁。
  2. ^ 職名別日本人名選 昭和12年版
  3. ^ 現代人物史伝 第9集 (本田弘敏) 図書 河野幸之助 著 日本時報社出版局, 1960
  4. ^ 東京商科大学卒業生名簿 昭和16年5月末日現在
  5. ^ 大衆人事録 [全国篇 12版]
  6. ^ 日本外交年鑑 昭和18年版
  7. ^ 塚本毅つかもとたけし国立公文書館アジア歴史資料センター
  8. ^ 港湾 30(4)([305]) 雑誌 日本港湾協会 [編] (日本港湾協会, 1953-04)
  9. ^ 世界週報 36(33)(1715);1955・11・21 雑誌 (時事通信社, 1955-11)
  10. ^ 外交時報 = Revue diplomatique (1039) 雑誌

参考文献

先代
齋藤音次
外務省南洋局長心得
1941年 - 1942年
次代
水野伊太郎
先代
ジャン・ドゥクー英語版
フランス領インドシナ総督代理
1945年
次代
日本の降伏



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