堅田の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 08:06 UTC 版)
25日になって堅田の猪飼昇貞・居初又次郎・馬場孫次郎が織田方に内通したので、信長は坂井政尚・安藤右衛門佐・桑原平兵衛ら1千の兵を堅田の砦に侵入させ、防備を固めることで西近江の物流の差し押さえを狙った。しかし朝倉軍も素早く坂井の堅田入りを察知し、翌26日には朝倉景鏡・前波景当や一向宗門徒らが比叡山より下って堅田に攻め寄せた。坂井の軍は堅田を囲まれ孤立したが、前波景当を返り討ちにするなどしたものの、結局は織田軍は壊滅し坂井政尚らは戦死。猪飼らは堅田を捨てて船で琵琶湖を渡って逃走し、この試みは失敗に終わっている。
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