城親賢とは? わかりやすく解説

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城親賢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/27 23:33 UTC 版)

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城親賢
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 天正9年12月29日1582年1月23日
別名 十郎太郎[1]、親政
墓所 熊本県熊本市西区岳林寺
官位 越前守
主君 大友氏島津氏
氏族 城氏
父母 父:城親冬[1]
兄弟 親賢、親基、隆房[要出典]
冬基(久基)、武房[要出典]

城 親賢(じょう ちかまさ)は、戦国時代武将。はじめ大友氏、のち島津氏家臣

経歴・人物

城氏肥後山鹿郡城村を根拠地とする菊池一族。父親冬の代から隈本城主となり、親賢は嫡子として城主を継ぐ[1]天正6年(1578年耳川の戦いにて大友宗麟島津義久勢に敗れ衰退し、隈部氏龍造寺氏との結びつきを強めていく。[要出典]肥後国内にて勢力を伸ばす龍造寺氏に脅威を感じ、同年大友氏方から島津氏方に転じる[1]同8年(1580年)島津勢と共に国内計策を行い甲斐宗運と戦うが敗退。[要出典]翌年の天正9年(1581年)肥前竜造寺氏の侵入に屈し、年末死去[1]。熊本市の植木市の始祖といわれる[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『城親賢』 - コトバンク



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