地名に残る勢子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:15 UTC 版)
富士の巻狩りの際に、勢子を多数輩出した村を「勢子村」(せこむら)と呼んだ。静岡県富士市に含まれた今泉村の旧名とされている。他に富士市には「勢子辻」(せこつじ)という地名があり、源頼朝の狩りの際の勢子の待機所であったと伝わる。 愛知県名古屋市名東区にも「勢子坊」(せこぼう)という地名があり、これは山で徳川御三家の尾張藩が巻狩をよく行い、その際に勢子を輩出した地域とされる。 江戸幕府のために軍馬を生産する牧があった千葉県鎌ケ谷市には、「勢子土手」(せこどて)という土手(野馬土手:のまどて)があり、「野馬捕り」(のまとり)という野馬を追い込む作業の際の堤防であったという。20日間ほどかかる野馬捕りに駆り出された勢子の手当は1日米7合 - 1升であり、周辺の村々に割り当てられた村人(勢子人足)の人数が古文書からわかっている。
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