土本恭平とは? わかりやすく解説

土本恭平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/03 01:38 UTC 版)

土本 恭平
基本情報
国籍 日本
出身地 岐阜県土岐市
生年月日 (1985-10-13) 1985年10月13日(39歳)
身長
体重
175 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2009年 ドラフト3位
初出場 2010年3月28日
最終出場 2010年4月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

土本 恭平(つちもと きょうへい、1985年10月13日 - )は、岐阜県土岐市出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

プロ入り前

岐阜県立土岐商業高等学校から本格的に投手を始め、3年夏は県大会ベスト4となり[1]専修大学に進学。大学4年時の2007年春季のみだったが、1部リーグ通算7試合に登板、3勝3敗、防御率3.47、45奪三振、2部通算は8試合、2勝3敗をマーク。大学の1年先輩には後に読売ジャイアンツでもチームメートになる松本哲也福岡ソフトバンクホークス長谷川勇也BREATHEの宮田慧がいる。 社会人では、主に中継ぎ抑えとして活躍。 三菱自動車岡崎の補強選手として第80回都市対抗野球大会に救援登板した。

2009年ドラフト会議で読売ジャイアンツに3位で指名され、メジャー移籍した上原浩治の背番号19を引き継いだ。

プロ入り後

春季キャンプでは同期新人の長野久義市川友也と共にA班(主力組)スタートが決定した[2]。オープン戦で結果を残し開幕戦から長野、市川とともに一軍に登録され、プロ初登板も記録した。しかし、3月31日の対横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム)でターメル・スレッジにサヨナラ3点本塁打を浴びるなど4試合の登板に終わりプロの洗練を浴びた。

2011年は肘を痛めたこともあって二軍公式戦登板無しに終わり、オフに自由契約、翌年からは育成選手となった。

2012年に球団から戦力外通告を受けた。

巨人退団後

現在は株式会社「J.C.O.S」(野球の力)という会社で、野球経験者に特化した就職支援を行うキャリアコンサルタントとして働いている。

選手としての特徴

最速150km/hの速球、長くて柔軟な指(人差し指は推定11センチ、中指は同13センチ、付け根から指先までの長さが長い)で挟む二種類のフォークを武器とした投球をする。決して大柄では無いが、角度のある投球をする[3][4]

新人合同自主トレにおいてヨーヨーテストや恒例の3000m走でもトップの成績を残し、身体能力の高さを見せている[5]

出演

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2010 巨人 4 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 16 3.2 1 1 3 1 1 5 1 0 3 3 7.36 1.11
通算:1年 4 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 16 3.2 1 1 3 1 1 5 1 0 3 3 7.36 1.11

記録

背番号

  • 19 (2010年)
  • 46 (2011年)
  • 011 (2012年)

脚注

関連項目

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「土本恭平」の関連用語

土本恭平のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



土本恭平のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの土本恭平 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS