土屋邦雄
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土屋 邦雄 | |
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生誕 | 1933年9月3日 |
出身地 | ![]() |
死没 | 2023年8月20日(89歳没)![]() |
学歴 | 東京藝術大学 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ヴィオラ奏者、指揮者 |
担当楽器 | ヴィオラ |
配偶者 | 元井美幸 |
土屋 邦雄(つちや くにお、1933年9月3日[1] - 2023年8月20日)は、日本のヴィオラ奏者、指揮者。1959年、東洋人初のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の団員となり[2]、40年以上にわたって在籍した[3]。妻はピアニストの元井美幸[4]。
略歴
- 東京府生まれ。東京都立武蔵丘高等学校卒業。
- 東京藝術大学でヴィオラを学ぶ。他に打楽器を今村征男、指揮法を渡辺暁雄、管弦楽法を池内友次郎に師事。
- 大学卒業と同時に東京芸術大学付属高校で教鞭をとる。またNHK交響楽団に首席候補として入団。
- 1956年、ドイツ・ヴィオラ界の第一人者ウルリヒ・コッホと、作曲家のパウル・ヒンデミットと知り合いドイツ行きを勧められ渡独。フライブルクの音楽学校でコッホに師事。
- 1959年1月20日、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の試験を受け合格、東洋人初のベルリン・フィルのメンバーとなる[4][5]。また、ベルリン・バロック・オーケストラの首席奏者、ソリスト、ベルリン・フィル八重奏団等で活躍[3]。
- ドイツでは小澤征爾、岩城宏之、天沼裕子といった日本人指揮者とも親交を深める。
- 2001年7月1日、ベルリン・フィルで最後の演奏会に出演し、退団[4]。
- 本拠をベルリンに置きながら、日本で指揮を含めた音楽活動を展開した[4]。
- 2023年8月20日、食道がんのためベルリンで死去。89歳没[4][6]。
脚注
- ^ 『現代物故者事典 2021〜2023』日外アソシエーツ、2024年、p.374。
- ^ 堀内修,真鍋圭子『ベルリン・フィルハーモニー』(初版第一刷)音楽之友社、1987年6月20日、29頁。ISBN 4276380197。「一九五九年にすでに東洋人として初めてこのオーケストラに受け入れられたということは、彼の実力と共に、特筆されるべきことである」
- ^ a b “Death of Kunio Tsuchiya”. ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 (2023年9月1日). 2023年9月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年5月27日閲覧。
- ^ a b c d e 「ビオラ奏者の土屋邦雄さん死去 日本人初のベルリン・フィル団員」『朝日新聞デジタル』2023年8月22日。2023年8月22日閲覧。
- ^ 「減り続けるドイツの日本人音楽家」『朝日新聞デジタル』2005年5月10日。2023年8月22日閲覧。
- ^ 「ビオラ奏者の土屋邦雄氏死去」『産経ニュース』2023年8月22日。2023年8月23日閲覧。
固有名詞の分類
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