四条頼基とは? わかりやすく解説

四条頼基

(四条金吾 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/14 22:53 UTC 版)

 
四条頼基
時代 鎌倉時代中期 - 後期
生誕 寛喜元年(1229年
死没 永仁4年3月15日1296年4月25日
改名 頼基→日頼(法名)
別名 四条金吾
官位 左衛門尉
主君 名越氏
氏族 四条氏
父母 父:四条頼員
テンプレートを表示
収玄寺にある東郷平八郎書「四条金吾邸址」碑

四条 頼基(しじょう よりもと、四条中務三郎左衛門尉頼基)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武士日蓮の有力檀越官位左衛門尉であったので左衛門尉の唐名である金吾と称され四条 金吾とも言われる。

承久3年(1221年)の承久の乱後、父・四条頼員の代から北条氏一族の名越朝時光時父子に執事として仕え、名越氏信濃国伊賀良荘地頭となると代官として赴任した。

建長5年(1253年)から日蓮の説法に深く帰依し、文永8年(1271年)の龍ノ口法難では日蓮に殉死しようとした。日蓮の『開目抄』は佐渡島から鎌倉の頼基の許へ送られ、門下に広く示された。

晩年には甲斐国内船(現在の山梨県南巨摩郡南部町)の地を与えられ、同地に内船寺を、身延山内に端場坊を建立している。屋敷跡は収玄寺となっている。

四条頼基を演じた人物

参考文献

  • 安田元久 編『鎌倉室町人名事典』新人物往来社、1990年




固有名詞の分類

このページでは「ウィキペディア」から四条頼基を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から四条頼基を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から四条頼基 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「四条頼基」の関連用語

四条頼基のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



四条頼基のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの四条頼基 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS