四柱神社とは? わかりやすく解説

四柱神社

読み方:ヨハシラジンジャ(yohashirajinja)

別名 神道

教団 神社本庁

所在 長野県松本市

祭神 天之御中主神 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

四柱神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/19 07:04 UTC 版)

四柱神社

拝殿
所在地 〒390-0874
長野県松本市大手3-3-20
位置 北緯36度14分5.9秒 東経137度58分13.4秒 / 北緯36.234972度 東経137.970389度 / 36.234972; 137.970389 (四柱神社)座標: 北緯36度14分5.9秒 東経137度58分13.4秒 / 北緯36.234972度 東経137.970389度 / 36.234972; 137.970389 (四柱神社)
主祭神 天之御中主神
高皇産霊神
神皇産霊神
天照大神
社格 村社別表神社
創建 明治12年(1879年
例祭 10月2日(神道祭)
地図
四柱神社
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四柱神社(よはしらじんじゃ)は、長野県松本市大手に鎮座する神社である。地元では、10月の例祭「神道祭」から「しんとう(神道)さん」と呼ばれる。また地元では四柱を「しはしら」と誤読される傾向にある。

祭神

境内風景

天之御中主神 (あめのみなかぬしのかみ)

高皇産霊神 (たかみむすびのかみ)

神皇産霊神 (かみむすびのかみ)

天照大神 (あまてらすおおみかみ)

概要

境内風景

名称は、4柱の神を祀る[1]ことによる。

明治5年(1872年)に筑摩県松本に設置された神道中教院[2]で、明治7年(1874年)から四柱の神を祀ったことに始まる。明治12年(1879年)に現在地に社殿を造営[1]し、村社の四柱神社として遷座した。明治21年(1888年)の松本大火で社殿を焼失し、大正13年(1924年)に再建[2]した。昭和34年(1959年)、別表神社に加列[3]

天皇行幸

明治13年1880年)6月24日、25日 明治天皇が松本市内を巡幸。24日午後には新築間もない神道事務分局の行在所に到着。境内には「明治天皇行在所旧址」の碑が残る。 この折、神社境内に渡る御幸橋が石造りで建造された。 三の丸の堀に架けられた太鼓橋である。[4][5]

交通アクセス

周辺情報

脚注

  1. ^ a b 『全国神社名鑑 上巻』全国神社名鑑刊行会史学センター、1977年、263頁。doi:10.11501/12262001 
  2. ^ a b 『神社辞典』東京堂出版、1997年、353頁。ISBN 4-490-10474-X 
  3. ^ 『神社新報選』(昭和36年版)神社新報社、1961年、156頁。doi:10.11501/3451839 
  4. ^ 『松本市史 第二巻 歴史編Ⅲ 』松本市、247頁。 
  5. ^ 『新松本繁盛記 』新信州社、216頁。 

関連項目

外部リンク




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