日蘭協会とは? わかりやすく解説

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日蘭協会

(和蘭日本協会 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/12 12:34 UTC 版)

日蘭協会
にちらんきょうかい
正式名称 日蘭協会
にちらんきょうかい
英語名称 Japan-Netherlands Society
組織形態 非営利組織
所在地 日本
107-0052
東京都港区赤坂9-7-3 富士フイルムホールディングス
設立年月日 1912年
ウェブサイト https://www.j-nls.org
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日蘭協会(にちらんきょうかい、英語: Japan-Netherlands Society)は、日本とオランダの関係に関する事項と、文化の相互理解の促進、両国民の友好親善関係の増進に寄与することを目的とする非営利の民間団体である。

沿革

日蘭協会は、1912年(大正元年)、大隈重信伯爵を会頭として発足した。1916年(大正5年)2月には、日本とイギリス領インドのあいだの商業会である日印協会(1903年設立)がインドネシアベトナム等東南アジア地域を事業範囲に加えたため、日蘭協会は発展的に発展的に解消し、協会員は日印協会に吸収された[1]

1933年以降の日蘭会商で日蘭海運協定が成立し、1936年(昭和11年)ごろにはアムステルダム商業会議所会長のウィレム・エンゲルブレヒト英語版 などの申し出により、和蘭日本協会が再発足した[2][3]。ただ、1941年1月にはオランダ領インドネシアの民主化運動指導者で親日派であったムハマド・タムリン英語版議員が日本側スパイとして活動したという嫌疑をかけられ、勾留中に死亡するという事件もおきた[注釈 1]

現在の日蘭協会は、戦後の1954年に再度発足したものである[4]

法人会員は三菱UFJ銀行三井住友銀行博報堂三菱重工業清水建設鹿島建設パナソニックアイリスオーヤマなど、41社(2025年4月現在)。

歴代会頭・会長

会頭

ナチスのオランダ占領前までの活動期間(1940年に協会の活動が停止)。

会長

名誉総裁

名誉会長

  • ヒルス・ベスホー・プルッフ - 駐日オランダ王国大使(2025年現在)

関連項目

脚注

  1. ^ 事件は、ナチスのオランダ侵攻(1940年5月10日)ののちにおきた。
出典
  1. ^ 商工省貿易局 1930.
  2. ^ 外務省 1939.
  3. ^ 桑島主計
  4. ^ 日蘭協会「協会概要」
  5. ^ 移民問題研究会 1938, p. 47.
  6. ^ E. D. ファン・ワルリー「経済上から見た蘭領東印度と極東諸国の関係」『国際パンフレット通信』第890巻、タイムス出版社、1936年、1-54頁。 

参考文献

外部リンク




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