名称変更からエイペックス社買収まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 00:36 UTC 版)
「ヒット・エンターテインメント」の記事における「名称変更からエイペックス社買収まで」の解説
ピーター・オルトンがヘンソン・インターナショナル・テレビジョン社から独立する形で同社の経営スタッフと共にヒット・エンターテインメント(これ以下ヒット社)を設立した。この時ヘンソン・インターナショナル・テレビジョンの親会社ジム・ヘンソン・カンパニーがウォルト・ディズニー・カンパニーとの合併交渉を進めていたが、その最中であった1980年6月17日にジム・ヘンソンが死去したことにより合併は中止となった。 設立当初のヒット社は『ポストマン・パット』や『アルビンとチップマンクス』、『ピーターラビット』などの放映権配給などを手掛けた。その後『バーニー&フレンズ』の海外配給を行うが、『バーニー&フレンズ』の海外展開が成功したことにより独自制作番組の開発に着手することとなる。AIM市場に上場し、調達した資金で番組制作部門ヒット・ビデオを立ち上げた。この部門で、ヒット社では初めてとなる自社制作番組『ボブとはたらくブーブーズ』の開発を手掛ける。 1997年にロンドン証券取引所に上場し、資本金を増やしたことで、『ボブとはたらくブーブーズ』の製作を目的としたストップモーション・アニメーション制作スタジオ、ホット・アニメーション(Hot Animation)など複数の部門を設立する。 2000年代に入ると『バーニー&フレンズ』の権利元であったレイリック・スタジオを買収したことを皮切りに、2001年にThe Pygos Group社が倒産したことにより売却された『ピングー』の権利、『きかんしゃトーマス』や『マンフィーのふしぎなぼうけん』、ギネス世界記録の権利元であったガレイン社を買収し、米英での製作体制の地歩を固めた。
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