名投手三羽烏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/24 21:11 UTC 版)
由谷は、東武雄・梶原英夫と並んで帝大野球部の名投手三羽烏と呼ばれている。3人とも右ピッチャーであり、身長はそれぞれ181cm、178cm、180cmと当時の東京六大学野球ではずば抜けて背が高かった。帝大が勝率が極めて低い時代に、由谷4勝25敗6分け、東15勝36敗4分け、梶原4勝14敗と立派な戦績を残している。 そして3人とも太平洋戦争で応召されて、戦死ないし戦病死している。東はフィリピン、ミンダナオ島タロモにあった太田興業に勤務、更に海軍嘱託として現地で軍服を着たが、戦争の終わった1945年11月2日ミンダナオ島ダバオ州にあるダリアオン収容所で病死(享年44)。梶原は住友金属に勤務、陸軍少尉として北支に渡ったが1943年夏胸部疾患のため大阪陸軍病院へ還送後、同病院で戦病死した(享年32)。
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