吉乃と永姫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 06:14 UTC 版)
加賀藩の『本藩歴譜』では前田利長の正室・永姫の生母を「生駒」と仮冒している。しかし、吉乃が永禄9年(1566年)の死去に対し、永姫は天正2年(1574年)の出生であり別腹である。生駒氏側史料にも生駒家宗女の子は信忠・信雄・徳姫3人のみと明記され無関係だとわかる。他に、生駒氏室もない。(生駒氏家譜) また、信雄により母方の姓「生駒」を下賜された家臣も存在する。吉乃の娘として明厳誉傳和尚に懇願し、夫人自ら資金を出して金沢に久昌寺を建立、追崇することで当時の戦局を有利にするため、生駒氏との関係を主張したかったとものとされる。
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