合戦の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 07:39 UTC 版)
大威徳寺の本堂は、飛騨国益田郡御厩野(現在の岐阜県下呂市)にあったが、美濃国恵那郡との国境にあり、境内は美濃国恵那郡側にも跨っており、一部の堂宇は美濃側にも存在した。 そのため、飛騨国益田郡竹原を本拠地とする三木氏と美濃国恵那郡を本拠地とする苗木遠山氏の勢力が衝突する場所にあった。甲斐国の武田信玄からの命により美濃国恵那郡苗木城の城主遠山直廉は飛騨国益田郡に侵攻し、三木自綱の弟で萩原城主の三木次郎右衛門尉を攻め、この戦いにより大威徳寺が焼失した。直廉は勝利したものの流れ矢により傷を負い、翌年この傷が原因で直廉は死去した。大威徳寺は、この戦いで多くの堂塔が消失し、残っていた堂宇も、天正13年(1586年)の天正地震で壊滅した。
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