可児市立兼山小学校とは? わかりやすく解説

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可児市立兼山小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/01 23:10 UTC 版)

可児市立兼山学校
北緯35度27分11秒 東経137度05分43秒 / 北緯35.45299度 東経137.09526度 / 35.45299; 137.09526座標: 北緯35度27分11秒 東経137度05分43秒 / 北緯35.45299度 東経137.09526度 / 35.45299; 137.09526
国公私立の別 公立学校
設置者 可児市
設立年月日 1872年
共学・別学 男女共学
学校コード B121221400115
所在地 505-0130
岐阜県可児市兼山1444-1
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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可児市立兼山小学校(かにしりつ かねやましょうがっこう)は岐阜県可児市兼山にある公立小学校

通学区域

沿革

  • 1872年(明治5年) - 私塾一貫社が開校。
  • 1873年(明治6年) - 一貫義校に改称する。
  • 1882年(明治15年)[2] - 兼山小学校に改称する。分教場を兼山村2番地に設置。
  • 1884年(明治17年) - 錦織村の継志支校(伊岐津志村の継志学校[3]の支校)が兼山小学校継志分校となる。
  • 1885年(明治18年) - 新校舎完成。兼山村2番地の分教場を廃止。継志分校が錦織尋常小学校[4]として分立。
  • 1886年(明治19年) - 高等科、尋常科、簡易科を併設する。
  • 1893年(明治26年) - 兼山尋常小学校に改称する。
  • 1893年(明治26年) - 兼山尋常高等小学校に改称する。
  • 1932年(昭和7年) - 現在地に移転。
  • 1941年(昭和16年) - 兼山国民学校に改称する。
  • 1947年(昭和22年) - 兼山町立兼山小学校に改称する。
  • 1981年(昭和56年) - 新校舎(鉄筋コンクリート造)、屋内運動場が完成。
  • 2005年(平成17年)5月1日 - 兼山町が可児市に編入される。同時に可児市立兼山小学校に改称する。

その他

  • 1885年竣工した校舎は、懸造りの三階建ての建物である。この校舎は解体修理を行い、1994年(平成6年)に兼山町歴史民俗資料館(現・戦国山城ミュージアムとして開館している[5]

脚注

  1. ^ 可児市立小学校・中学校の一覧と通学区域について
  2. ^ 兼山町誌による。兼山小学校HPでは1878年。
  3. ^ 現・八百津町立錦津小学校
  4. ^ 後の八百津町立八百津小学校錦織分校。1960年廃校。
  5. ^ 兼山歴史民俗資料館

関連項目

外部リンク




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