古田重剛とは? わかりやすく解説

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古田重剛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/29 14:35 UTC 版)

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古田 重剛(ふるた しげかた、文化5年8月16日1808年10月5日) - 明治20年(1887年))は、江戸時代武士国学者茶人

豊後岡藩士、400石。通称は右馬允。古田本家・古田重功(岡藩士・森田善典次男)の庶子。古田重名(宗関)の義父[1]

天保7年(1836年)12月に家督相続し、藩主中川久教の御近習物頭となる。その後、中川久昭に仕える。明治2年(1869年)に、名を藤衛と改め、10月に新藩知事中川久成より中川姓を賜り250石加増される。

重剛は、義祖父古田広計と父重功より国学和歌織部流茶の湯を学んだ。和歌が『大江戸倭歌集』(中)、『蔦廼舎歌集』などに収録されている。

脚注

  1. ^ 「豊後古田家譜」

参考文献

  • 高階惟昌『国学人物志 初篇』世壽堂、1859年
  • 末宗廣編『茶人系譜』河原書店、1977年



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