古屋の強制送還
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/02 00:42 UTC 版)
佐藤領事は、自らペルー政府宛の古屋送還要請状を作成し、北田公使に署名せよと迫った。1939年12月27日、佐藤領事はペルー内務大臣の命令書を入手。領事館に嘱託で働いていた日本人移民の早坂に命じ、計画が実行されることになった。 12月27日の夜、古屋の夫婦と、住み込みで見習いとして働いていたペルー人の女性、マルタ・コスタが在宅であった。早坂が率いる一団は夜陰に乗じて古屋宅に侵入し、古屋らを拘束した。この時、マルタ・コスタも、一緒に領事館に連行した。マルタ・コスタはすぐに解放されたが、古屋は顔が腫れ上がるほどの暴行を受けた。翌12月28日、実行メンバーは古屋をカヤオ港に連行し、銀洋丸に乗せて日本に強制送還した。
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