反復の人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 13:27 UTC 版)
反対に反復の人は、退屈の経験によってみずからを取り戻す。反復の人は、「退屈によって明らかになる確実な土台の上でみずからが行動しているのだ」と知っている。言い換えれば、反復の人はみずからが存在論的には無価値である(空無性)のを知っているのである。 この空無性に身をさらすことは、みずからの真の目的に身をさらすことでもある。すなわち、すでに切迫している彼自身の死に、あるいはハイデガーのいう「彼自身の不可能性の可能性」に身をさらすのである。 そのとき反復の人は、非意味のもとに意味を得る。 言い換えれば、反復の人は自分が存在論的確実さを備えているとは思っていないので、自分の未来ばかりを見ようとはしない。 彼は未来から見て自分がかつて何であったかと考えるのであり、すなわち「前未来」を生きるのである。 反復の人はどんな活動をしているときでもみずからに誠実なので、過去を自分の現在に繋がるものとして見ることができる。なぜなら、自分が過去におこなったことが現在の自分を構成しているからである。 退屈において、また退屈によって明らかになるみずからの死という存在論的欠如を土台として彼自身の本質がつねにすでに規定されているのだから、このような反復の人であれば、みずからの本質に立脚して、自身に固有の意味について欺瞞なく主張できるのである。
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