参預会議の成立
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こうして先の薩摩藩上表に基づき同大晦日に、久光を除く上記4人と容保が「朝廷参預」に任命される(久光のみ翌文久4年(1864年)正月13日に任命)。この参預の職務は二条城を会議所とし、二日おきに参内して天皇の簾前にて朝議に参加するというものであった。 正月15日、将軍・徳川家茂が再上洛。孝明天皇は家茂に対し、醜夷征服の策略を議すこと、参預諸侯の政治参加、公武合体方針の明確化などを求めた宸翰を下した。これを受け、2月16日参預諸侯に老中部屋への出入りが許され、正式に幕政参加が命じられた。
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