原田宗輔とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 原田宗輔の意味・解説 

原田宗輔

(原田甲斐 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/08 12:29 UTC 版)

原田 宗輔(はらだ むねすけ、元和5年(1619年) - 寛文11年3月27日1671年5月6日))は、江戸時代前期の武士仙台藩重臣。奉行職[注釈 1]原田宗資の子。伊達騒動(寛文事件とも)当事者の一人。通称甲斐で、原田甲斐(はらだ かい)として知られる。


  1. ^ 仙台藩の役職に家老は存在しない。家老にあたる職を奉行と呼称する。
  2. ^ 原田家の定められた家格「着坐」は家格としては5番目であるが、原田家は着坐中の上席「一番坐」の一角を占めた。この一番坐は「宿老」とも称され、家老への登用も多い名門であり、父・原田宗資(通称・甲斐)も奉行を務めた。父の代の元和3年(1617年) から船岡城を居城としていた。
  3. ^ 世間では仙台藩の一家臣というイメージのみが強いが、後述の伊達綱村後見人を務めた伊達宗勝田村宗良はそれぞれ宗輔の母方の叔父・いとこ。 父・宗資も伊達家庶流桑折家からの養子。 姉や息子も梁川家や飯坂家など庶流家と縁組している。 実際のところ宗輔は重臣の中でも伊達一族色が濃い人物である。
  4. ^ 歌舞伎伽羅先代萩』の悪役・仁木弾正のモデルとなるなど、藩政を牛耳った奸臣として悪名高いが、後に山本周五郎の小説『樅ノ木は残った』で主人公とされ、御家安泰のため死んでいく忠臣として描かれている。


「原田宗輔」の続きの解説一覧


このページでは「ウィキペディア」から原田宗輔を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から原田宗輔を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から原田宗輔 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「原田宗輔」の関連用語

原田宗輔のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



原田宗輔のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの原田宗輔 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS