南部藩領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/10/24 09:24 UTC 版)
寛永18年(1641年)、南部藩は街道の改修工事と四十二町を一里とする七里塚の建造を命じている。慶安2年(1649年)、「大道筋(奥州之内南部領海陸道規帳)」において、「海辺道(うみべみち)」と呼ばれ、太平洋岸の海岸通りを経由していた。 平田坂石塚境目 - 平田 - 釜石 - 大槌 - 山田 - 宮古 - 小本 - 普代 - 野田 - 大川目(現・久慈) - 種市 - 八戸 - 百石 - 平沼 - 尾駮(おぶち) - 白糠 - 猿ヶ森 - 尻森 - 尻屋 - 大畑 - 大間 - 長後
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