南けんじとは? わかりやすく解説

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南けんじ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/25 02:31 UTC 版)

南 けんじ(みなみ けんじ、本名:土戸利夫、1924年 - 1997年12月16日)は、漫談家。長男はマジシャン藤山新太郎。旧芸名は「南賢児」。

人物と芸風

東京都世田谷区に生まれ、演芸好きの父に連れられ寄席にかよった。従軍中には余興で様々な芸を披露した。

復員後の1945年人見明率いるボーイズ「人見明とスイングボーイズ」に加わり、浅草花月劇場にて正式初高座。

その後も歌謡ショーの専属司会者を経て、相方を替えながら、歌謡漫才(流行歌の替え歌を織り混ぜた漫才)を続けたが大成せず、1974年よりピンの漫談家に転向した。

1991年大腸癌を発病、入退院を繰り返しながら高座を勤めた。晩年はにも転移するなど、悲惨な状況でも浅草や名古屋の大須演芸場などの高座に上がり、かつての司会者時代の思い出話を織り混ぜたネタや、病気をテーマにした自虐ネタを口演していた。

ビートたけしの無名時代に面倒を見ていたことでも知られ、度々『ビートたけしのオールナイトニッポン』でエピソードのネタにされたり、たけしの小説『漫才病棟』にも登場した。

その面倒見の良さから、若手芸人たちに、頭が大きなことから『頭(あたま)ケンの師匠』と呼ばれて慕われた。

著書に『ビートたけしのへその緒』(潮出版社1994年 光森忠勝 聞き書き。帯の推薦文はビートたけし)がある。

著書

脚注


南けんじ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 02:59 UTC 版)

大須演芸場」の記事における「南けんじ」の解説

東京漫談家司会者最晩年拠点として出演続けたネタ時事漫談浅草での思い出ネタ多かった

※この「南けんじ」の解説は、「大須演芸場」の解説の一部です。
「南けんじ」を含む「大須演芸場」の記事については、「大須演芸場」の概要を参照ください。

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