協和醱酵硬式野球部とは? わかりやすく解説

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協和醱酵硬式野球部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/29 05:32 UTC 版)

協和発酵硬式野球部
チーム名(通称) 協和発酵
加盟団体 日本野球連盟
加盟区分 企業チーム
創部 1950年
廃部 2002年
チーム名の遍歴
  • 協和発酵 (1950 - 2002)
本拠地自治体
  • 山口県防府市 (1950 - 2002)
  • 練習グラウンド 協和発酵防府グラウンド
    都市対抗野球大会
    出場回数 3回
    最近の出場 2002年
    最高成績 2回戦敗退
    日本産業対抗野球大会
    出場回数 1回
    最近の出場 1961年
    最高成績 2回戦(初戦)敗退
    社会人野球日本選手権大会
    出場回数 6回
    最近の出場 2001年
    最高成績 ベスト4
    全日本クラブ野球選手権大会
    出場回数 ※出場資格なし

    協和発酵硬式野球部(きょうわはっこうこうしきやきゅうぶ)は、山口県防府市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟していた社会人野球の企業チームである。

    運営母体は、総合バイオメーカーの協和醱酵工業

    概要

    1950年協和醱酵工業の防府工場が監督・選手13人で『協和発酵硬式野球部』として設立。

    1963年には会社の業績悪化から休部となり対外試合も禁止となったため、主力選手8人が他チームに移籍した[1]1965年には休部が解除され、1975年には都市対抗野球1976年には日本選手権にそれぞれ初めて出場した。

    その後は、津田恒美を擁して1979年日本選手権でベスト4、1981年日本選手権でベスト8に進出を果たした。

    1997年からは午後3時開始だった練習時間を昼からに拡大し、さらに九州六大学東京六大学から積極的に選手を獲得して、2000年にはJABA徳山大会で初優勝を果たした[2]

    2000年2001年には2年連続で日本選手権にも出場したが、景気低迷にともなう会社の業績不振から、2002年6月10日に同年限りでの廃部が発表された[3]。最後の都市対抗野球は11年ぶりに本大会出場を果たし、9月の社会人野球中国予選をもって活動を終えた。その年のドラフトで、上本達之が西武から6位指名を受けた。

    沿革

    主要大会の出場歴・最高成績

    出身プロ野球選手

    脚注

    1. ^ 毎日新聞、2002年8月21日付朝刊、山口地方面
    2. ^ 毎日新聞、2002年8月22日付朝刊、P.20
    3. ^ 毎日新聞、2002年6月10日付夕刊、P.10

    関連項目




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