千鶴御前生存説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 09:48 UTC 版)
中世に陸奥国和賀郡を拠点としていた和賀氏は、密かに生存した千鶴御前の後裔を称する。『和賀一揆次第』によれば、頼朝と伊東祐親の娘・万功の間に生まれた男子・春若は、祐親の命で殺されようとしていたが、それを命じられた家来たちはこれを憐れんで密かにこれを逃した。後年、頼朝と対面した春若は和賀郡を所領として与えられ、多田式部大輔忠頼と改めたという。忠頼は和賀の地に赴く前に没したが、その遺児・忠明が改めて同地を安堵され、和賀氏の祖となったという。
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