勝呂裕司とは? わかりやすく解説

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勝呂裕司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/16 08:45 UTC 版)

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勝呂 裕司(かつろ ゆうじ、1949年10月7日 - )は、日本北海道虻田郡倶知安町出身の元ノルディック複合選手。1960年代後半から1970年代前半に日本のエースとして活躍した。

プロフィール

倶知安町立倶知安中学校-北照高等学校-日本大学-日本軽金属-東京美装

北照高校時代に全日本スキー選手権ノルディック複合で高校生ながら2連覇を達成、インターハイ(全国高等学校スキー大会)では複合で3連覇、純ジャンプで2連覇を達成した。

1970年ノルディックスキー世界選手権では日本勢最高位の8位、1971年2月の札幌国際冬季スポーツ大会(プレオリンピック)で2位になるなど期待されて迎えた地元開催の1972年札幌オリンピックでは5位となった。これはオリンピックのノルディックスキー競技で日本人初の入賞である。 1976年インスブルックオリンピックでは21位だった。

2008年6月に田中翔大支援のためプライススキークラブを設立、監督に就任した。

日本国内での主な競技成績

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